2022年3月現在

hideki oba

大場英樹

法学修士(LL.M.)

~日本企業の法務担当者へのテンプル大学ロースクールLL.M.プログラムの勧め~

入学のきっかけ

テンプル大学のLL.M.プログラムを開始した理由は、仕事で遭遇する米国法の課題をより体系的に理解したいと思ったからだ。過去に日本の大学で日本法を学んだことはあるものの、コモンローを体系的に勉強したことはなかった。一方、社会人になって以来、仕事の現場では、ほぼコモンローが中心であった。
米国法はその広範な域外適用の可能性により米国外の国際的取引を行う企業にとっても非常に重要になっている。また米国、英国、シンガポール、香港等、コモンローは多くの国際取引の準拠法として採用されることが多い。特に2016年当時、米国のトランプ政権は通商政策において経済制裁を積極的に活用しており、私はこの分野を担当していた。政治と法律が錯綜するこの分野は、多くの法令、大統領令、行政規則が入り乱れ、複雑を極めている。

私のように日本法の教育とOJTだけで国際法務に取り組んでいる企業法務担当者にとっては、米国法とコモンローの世界は謎だらけに感じられるのではないかと思う。
連邦法と州法の関係は?
州裁判所と連邦裁判所の関係は?
成文法・判例法・大統領令・行政規則これらの関係は?
なぜ米国人でない外国法人に裁判管轄が認められてしまうのか?
裁判官と陪審の関係は?
証拠開示はどこまで抵抗できるのか?
詐欺防止法、口頭証拠排除の原則といった法的概念、Mens Rea, Res Ipsa Loquiturといった様々なラテン語のフレーズ等、仕事を進める上で、これら多くの疑問をどこかでまとめて解決しないことにはどうしようもないと思ったのだった。

テンプル大学ジャパンキャンパス

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入学して最初の授業は契約法だった。教授は、本校から派遣されたEleanor Myers教授で、生徒に多くの質問をするのが印象的であった。判例の事実、規範、その理由と検討要素等について多くを質問した。クラスの議論は活発だった(これはテーマやクラス、その時のクラスメンバーによるのだが)。この最初の授業で出会った生徒の一人は非常に驚異的で、クラスで扱う判例について教科書を読み込んでいるだけでなく、彼女自身で独自にバックグラウンドを調べ、教授に質問と主張を投げかけていた。(ちなみにこのとき積極的に質問し、教授に絡んでいた生徒には、どうにか友達になりたいと思って頑張って話しかけた。努力の甲斐あり、彼女はその後作ったスタディグループの主力メンバーにもなってくれ、さらに学校を離れての友人にもなった。)東京校のクラスは既に企業の法務部や弁護士事務所等で実務を行っている人が多く、実務に即した発言が随所に見られた。

学び始めてしばらくして気がついたのだが、コモンローは大陸法と発想が異なり、裁判官がローメーカーとして、社会の法規範を作る。そのため、当事者の公平や社会的要請等の様々な価値判断的要素を勘案してルールを策定しいる。これは立法者の領分ではと思うことも多々あり、実際に米国最高裁の多くのケースに対して、そうした批判が存在する。(一部のケースでは、非常に合目的的な結論が下され納得いかないものもあったが、それらも含めて「このファジーさがコモンロー」と思いきることにした。)なるほど、これは教科書だけで理解するのは難しい。大陸法の国に生まれコモンローを初めて学ぶ人にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでもあり、教室での双方向の議論を通してこれを体感するのは、非常に有効な教授手法なのだと納得もした。

その後、民事訴訟法、刑法、憲法、財産法、リーガルライティング、と授業を取っていった。どの授業も印象的ではあったものの、憲法の授業は特に印象的であった。有名なセベリウス判決(オバマケアの合憲性を巡る最高裁訴訟)では、連邦議会の権限と国民の自由を議論した。米国民に民間の医療保険を購入することを義務付けるこの法案に対する象徴的な批判は、「それが健康によいからといって国が国民にブロッコリーを買うことを強制出来るのか。」というものであった。これは米国人の考える「自由」の概念について考えるよいケースであった。さらに米国の医療システムを巡る問題も議論することが出来た。高度な医療と高額な医療費、複雑かつ高額な保険、貧困層が享受できる医療保険の欠如等々。そして9人の最高裁判事が最終的にこの高度に政治的な問題を決定することにも衝撃を受けた。
クラスでは生徒を原告、被告、判事に分けての議論を行った。これは非常にエキサイティングな経験で、自分が最高裁判事たる9人の1人になった気分にもなった。それのおかげか最終的には学生それぞれの推し判事まで出来た。やはり一番人気は世間でも人気のギンズバーグ判事だったと思う。このクラスをグループに分けての議論というのは他の科目でも行われたが非常に効果的で、それぞれの主張の強み、弱みを把握できる。さらに、同じグループのクラスメートと仲良くなることができ、グループチャットで議論をしたり、休日に集まって論点を確認したりといった準備は非常に楽しかった。

セメスターパーティー

ジャパンキャンパスでは教授と学生の交流パーティーを頻繁に開催してくれるのだが、これはほぼ毎回参加した。これは間違いなく参加すべきイベントである。難解な各科目の疑問点を相談できる友人がいることは、LL.M.を履修する上で非常に有難いことであるし、クラスを離れても他社の法務部のオペレーションや課題等を情報交換できる友人が作れる非常に貴重な機会になる。ちなみに、日本の大手法律事務所やコンサルティング事務所がテンプル大学ジャパンキャンパスに学生を派遣しないのは、もったいないと思う。日本の名だたる企業の法務部に多くの知己を得るいい機会だと思うのだが。

教授は皆熱心で、21時半の講義の終了後に列を作って順番を待つ学生の質問を全て答えてくれた。これは非常に貴重な機会であった。ケースブックは読者に対する多くの質問が掲載されている一方で、答えが掲載されていないことも多い。こうした質問の機会がなければそうした質問もわからないままになっていたと思う。

ちなみに、ある時なぜこんな不親切な教科書を使うのか、と教授に抗議したところ、「ロースクールへようこそ!」との回答が返ってきたのだった。

メインキャンパス(フィラデルフィア)

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入学して1年半が経ったときに、フィラデルフィアのメインキャンパスで学びたいと思った。まだまだ取得したい科目は多く残っていたが、全部を取得するには更に時間を要することが見えていた。また、ジャパンキャンパスで提供される科目は限られており、ある科目を取り損ねた際に、次に受講したい講義が提供されるのは1年以上後…といったこともある。さらに、仕事をしながらの受講はハードで、特に週の半ばに授業がある場合は出張のスケジュールにも差し支えた。そこで、職場に無理を言って4か月間の休職を取得することにした。もちろん、アラフォーのこの年でそうした長期の休みが取れるというのは、相当に恵まれていたと思う。取得にあたっては、職場の上司や同僚にも前向きに応援して貰えたのだが、これは望外の幸運であったとしか言いようがない。

メインキャンパスのLL.M.プログラムではLL.M.生向けの授業というものはなく、JD生と同じクラスに参加することになる。ネイティブスピーカーのJD生と同じ予習をし、クラスで発言と質問をし、試験を受ける。この点、事前に1年以上ジャパンキャンパスでクラスを受けていたこと、即ちケースブックを読み、ケースを議論し、コモンローの考え方に親しみ、複数の試験を受け答案を作成していたことは大きなアドバンテージとなった。  

メインキャンパスであっても、クラスの進め方はジャパンキャンパスと大きく変わるものではない。事前にケースブックを読み、教室でそれを議論する。
しかし、大きな違いの一つは学生の積極性だろう。例えば、証拠法のクラスでは、時折クラスを検察側と弁護側に分けてロールプレイを行った。テンプル大学はその模擬法廷プログラムの充実度では全米一を誇る。既に何度かの模擬法廷を経験しているのだろうか、JD生は積極的で、ついさっき授業で習った異議申立を果敢に用いてみようとする。一人の学生が

”Objection, hearsay”(異議あり。伝聞証拠だ。)

と申し立てれば、他の生徒がそれは

”This is for impeachment.(これは信用力に対する証拠として許容される)”、

と反論する、といった場面は、英語ネイティブではない自分には大変ではあったが、証拠法が使われる場面を理解する機会になったし、何よりドラマのようにワクワクするものであった。

もう一つの違いだが、メインキャンパスの教授は、より基本的かつ根源的な問題を議論するのに時間をかけるように思われた。例えば、信託と財産(Trust & Estate)の授業を担当する、Finbarr McCarthy教授が学生に投げかけた質問に

「被相続人の財産処分の自由について君たちはどう考えるか。」

といったものがあった。当初、なんて漠然とした質問をするのかと驚いたが、JD2、3年目の学生は思い思いに答えを述べる。特に多い答えは「たとえ死の瞬間あっても、それがその人の財産である以上は、自由に処分されるはずだ。」というもので、それが米国における基本的な発想のようだった。厳しい遺留分等を定める日本法に慣れた私にとっては、驚きであった。こうした社会の価値観の根底から考えさせようとする講義は非常に示唆に富み、そもそもの米国社会と米国人の発想と価値観というものを深く考える貴重な機会であった。

メインキャンパスでは、その他不法行為法、会社法、コンプライアンス入門を加えた5科目を履修したが、いずれも活発な議論の中でその科目の基本的なテーマをじっくり考えることが出来たように思う。テンプルのLL.M.を履修する学生の多くは、時間的制約のある社会人が多いのではと思うが、可能であれば、メインキャンパスで学ぶ機会を持つことはとても有益なものになると思う。また、フィラデルフィアは有名なフィラデルフィア美術館やバーンズコレクションを始めとする素晴らしい美術館と公園、歴史的建造物、美味しいレストランとカフェに恵まれており私生活も非常に思い出深いものになった。

実務へのフィードバック

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メインキャンパスへの留学から戻り、職場に復帰した際には上司や同僚から「どうだった?役に立った?」と聞かれた。その際には「色々な疑問が解けました!」と答えた。米国の司法システムは非常に複雑と思う。それは連邦と州の関係、三権分立と広範かつ強力な大統領の権限や政治的な問題へ積極的な役割を果たす裁判所、広範な域外適用、そして無数の成文化されていないケースローの集積等に起因すると思う。LL.M.を修了した今となっては、実務で直面する課題を深く理解するには、これら基本的なコンセプトを前提として理解しておくことが必要不可欠であったと実感している。またクラスにおいて様々なケースをじっくり検討したことは、直面する課題に対して自分なりに検討し結論を出すという作業に大いに貢献している。

国際法務の特に大陸法を背景とする担当者にとってコモンローと米国法の世界は疑問に満ちていると思う。テンプル大学LL.M.プログラムは、この疑問を仕事と両立させながら解決することが出来る、この上なく貴重な機会だと思う。

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