教務担当副学長の月刊コラム「学生の参加を促す教育を提供しよう」

教務担当副学長のジョージ・ミラーが、テンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)と彼の東京での新生活について月に一度のコラムをお届けします。今回は、情報を自分で取捨選択できるインターネット世代の学生にどんな教え方が相応しいかについて書いています。


大学生の頃、私は不真面目な学生でした。

私の大学はメリーランド州の小さなイエズス会系の学校で、学生は自分の専攻とはかけ離れた様々な分野からも幅広く履修する必要がありました。私はそういった授業が大概嫌いでした。ミクロ経済学? 宗教? 哲学? おえっ。

私はすでに自分のキャリアパスを見据えていました。ジャーナリズムの授業だけが取りたかったのです。記事を書き、写真を撮って、自分が目撃したあらゆる驚くべき事柄について人々に伝えたいと思っていました。なぜなら、ジャーナリズムこそが私を世界に駆り立てていたからです。ジャーナリズムの授業や上級生の頃にしたフリーランスの仕事のおかげで、私はたくさんの経験を積むことができました。

ジャーナリズム以外のものは全て邪魔だったのです。

私は出席すべき授業をさぼって、ニュース記事の取材をしたり、ラクロスの試合の写真を撮ったりしていました。

(あるいはスポーツをしたり、友達とたむろしたり、寝たり、とにかくベーオウルフやヘーゲルやビザンチン美術に関する授業に出る以外のあらゆることをしていました。)

卒業して以来長らく、私は大学時代の経験についてあれこれ考えてきました。自分はジャーナリズム以外の様々な授業に出席することによって得られる大量の“学びの機会”を無駄にしてしまったのではないだろうか?

その通り。私は無駄にしてしまったのです。そして私はそのことをとても後悔しています。

しかしその責任は私だけにあるのではありません。

私が受講したミクロ経済学の授業は講堂で行われ、数百人の学生を相手に教授が週に2回80分間の講義を行いました。教授が学生に質問することは一度もなく、そこに学生がいるということも気に留めていないようでした。教授はただ講堂を行ったり来たりして、定規を机の上でぴしゃりと鳴らしていました。ひどい授業でした。またベーオウルフの講師は古英語の方言を用いて読み聞かせをし、原本を配布してそこに使われている中世の言語を学ぶことを推奨していました。

そうした先生方は学生との関係を築くことに失敗したのです。彼らは自分の専門分野にがんじがらめになるあまり、自分の授業を取っている学生は他にも四つ授業を取っていて、アルバイトもして、人との関係を築き、インターンシップやスポーツに打ち込み、その他にも数え切れないくらいのことをしている人間であるという事実を看過してしまっていたのです。

先生方は学生が学べるようにできる限りのことをしたでしょうか? どうでしょうか。

私は学生だった頃、たとえ名前だけであっても、私のことを知るために時間を費やしてくれる人を一番評価していました。誰かが私に質問をしてくれて、解くべき課題を与えてくれることは楽しいことでした。私は単に宿題をして勉強するのではなく、自分自身の教育に参加することを望んでいました。

私がフィラデルフィアにあるテンプル大学の本校で最初に教え始めた時、広い講義室で300人以上の学生に向けてのジャーナリズムの授業を割り当てられました。それでは個人的な体験をすることは困難です。

そこで、授業の初日に、私はたくさんの質問をしました。

「あなたたちの中で新入生は何人?」と私は尋ねました。大半の受講生が手を挙げました。

それから2年生は? 3年生は? 4年生は? と訊ねる度、だんだん少人数にはなりましたが、それぞれに声があがりました。

「出身は?」と質問して、私は様々な地域の名前を挙げました。フィラデルフィア、その近郊、ニュージャージー、ウェストコースト、その他世界中のどこか。自分の出身地の名前が読み上げられると彼らは手を挙げて騒ぎました。

私たちは、専攻、キャリアの目標、住んでいる場所(キャンパスの内外)、ニュースを知るお気に入りの手段(オンライン、新聞、TV、ラジオ等々)、その他の特性について同様の質問をしていきました。

それぞれの質問の後、私は学生たちに、あたりを見回して手を挙げている他の人を見るように言いました。その人たちは同じバックグラウンドや現在の状況、人生の目標を共有する人々です。そうしたことは大学での人間関係の礎になるかもしれません。

最後には、全員がこの試みに参加してくれました。とても楽しかったです。彼らは授業のプロセスに参加してくれていました。これは厳密には教育のプロセスではないとしても、私への同意を生み出してくれたのです。学生たちはこの体験を気に入ってくれて、そのおかげで、コミュニケーション理論とジャーナリズム倫理に関する後の講義に集中してくれました。

この時代の学生は —そして今日のほとんど誰しもが—、情報の収集をコントロールすることに慣れています。私たちは自分が欲する情報を、自分のパソコンやタブレットやスマートフォンで、いつでも好きな時に読んだり見たりしています。電車に乗って通勤通学中に他の乗客を見てみれば、様々な情報メディアを読んだり見たり聴いたりしている人が大勢いることに気が付くでしょう。

ある程度は大衆が共通体験するものも存続していくでしょう。例えば『ゲーム・オブ・スローンズ』の最終回は数百万人が同時に観ています。しかしその数十倍の人々が、後から自分の予定に合わせて、時間がある時に視聴しているのです。

社会的に見ると、私たちは大きな分岐点に来ています。もはや大衆が共有する、共通の信頼できる情報源はありません。このことは公共の情報の基礎が存在しないということを意味します。

教育者にとっても、同様のことが言えます。人々は興味のある情報を、それを学ぶ準備ができた時に得ようとします。そのため、率直に言うと、講義はほとんどの場合通用しません。私たちはそれが学ぶための時間だからという理由で、学生に向かってただ講義をして、彼らが情報を吸収するのを期待することはできません。

そうではなく、私たちは学ぶということを面白くて、経験に基づくものにしなければなりません。そして、学生が学ぶ準備ができた時に学び続けるための機会を創出する必要があります。教授の中には、ブログや他の場所で、学生が授業後にも議論を続けられるようにしている人もいれば、学生が余暇にできる演習を提供している人もいます。

学部の課程を修了したほぼ直後に、私はジャーナリズム以外の授業への自分の態度を後悔しました。私は暇な時に、無視してきた資料を読むことを始めました。歴史の本や、科学に関するテキスト、世界中の文学等々です。それは素晴らしいものでした。

数年後、私は大学院に進学しました。そして修士号取得後、私は再びリベラルアーツの修士課程を開始しました。それは取得可能な中でも最も広義にわたる分野です。このことはただ私が学びたいという気持ちを持っていることの証明になるでしょう。

私は二つ目の修士号に取り組みつつ教えることを開始し、それ以来ずっと毎日学びながら大学にいます。