1996 Bachelor of Arts
1998 Master of Education
1999 Master of Arts (African American Studies)
2007名古屋大学大学院文学研究科博士課程満期退学
現在 中部大学中部高等学術研究所 講師

古澤 礼太 — 1996 B.A., 1998 M.Ed., 1999 M.A.
アフリカ・ガーナ共和国のホームステイ先にて。看護婦になったばかりの娘さんが黄熱病の予防接種を打ってくれました。

当時のキャンパスはどこ?

下落合キャンパス(IELP時代)、南大沢キャンパス(学部時代)、南麻布キャンパス(大学院修士課程<TESOL>時代)+ 本校(学部と大学院修士課程<アフリカン・アメリカン学>時代)でした。

学生時代いちばん思い出に残っていることは?

アフリカの文化に関する講義の中で一夫多妻制が話題になったとき、アメリカ人の学生たちがからかうような発言をしていると、あるアフリカ出身の女子学生が立ち上がって「私にはお母さんが3人いるけど、みんな私の大切なお母さんよ!」と大きな声で怒りをあらわにしました。一夫多妻制の良し悪しはさておき、私にとっては「文化の多様性」との衝撃的な出会いでした。そしてその一言が、私がアフリカ研究をはじめるきっかけとなりました。

TUJで学んだことは、あなたのキャリアや人生一般にどのように役立っている?

「もしも警察がいなかったらみんなが泥棒をすると思いますか?」。このクイズのような質問は、IHの授業でホッブズの自然状態(state of nature)についての講義の冒頭で問いかけられたものです。IHはテンプル大学の学生ならばみなさんご存知の必修科目であるIntellectual Heritageの略、ホッブズとはイギリスの思想家です。IHは、哲学を中心に歴史的な偉人たちの考え方を学びながら自分なりにいろいろと考える授業で、ややこしい西洋思想史の暗記ではなく、私たちとホッブスやルソーなど歴史上の思想家がまるで対話をしているような楽しい授業でした。「今の学生たちは何も考えていない」と言われがちですが、実はそうではなく、潜在的には考えることに飢えている世代だと思います。教壇に立つ立場となった今、あのころの経験を思い出しながら授業を組み立てています。

あなたの在籍時代と比べて今のTUJは変わった?あるいは変わっていない?

今のTUJの現状を知っているわけではありませんので変化についてはよくわかりませんが、卒業してから気づいたことは、事務系の方々の有能さです。魅力的な先生方が多いということは学生ならばみなさんお気づきだと思いますが、事務の方々の高い能力とご努力によってTUJが今日まで支えられているということは意外と気づいていないのでは。私は現在、大学で国連の「持続可能な開発のための教育」というプログラムに関わっていますが、「TUJで働いていた」という素敵な国連関係者に偶然お会いしたこともありますし、人材育成関連の社長さんになられた有名な女性もおられるようです。在学当時からお姉さんのようにお世話になっていた加藤智恵さんは今ではTUJの副学長として、日本社会とテンプル大学をつなぐ難しい職務をこなしておられます。この事務系スタッフの強みは変わっていないのではないでしょうか。

TUJの将来についてどう占う?

TUJはアメリカの大学の日本校ですが、アメリカだけではなく世界への入り口だと思います。私自身も、TUJに通い、本校でアフリカン・アメリカン学を学び、アフリカの大地を踏み、アフリカ研究をはじめました。

また、TUJで学生時代を過ごすことで、日本の文化や日本人であることについて深く考えさせられる場面に出会います。本校から来日し、TUJで教鞭をとる先生方の中には、日本の文化や東洋の思想に強い関心を持っておられる方も多く、こうした先生方を通して日本文化の価値を認識・再認識することが多々ありました。TUJの将来は、このように単なる「アメリカかぶれ」でない真の国際人を育成できる、日本における貴重な大学であり続けるのだと期待していますし、そう"占って"います。

(2012年4月掲載)