教務担当副学長の月刊コラム「毎日、毎秒、その瞬間を味わうこと」

教務担当副学長のジョージ・ミラーが、テンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)と彼の東京での新生活について月に一度のコラムをお届けします。今回は、大学以外での生活にもしっかり時間を使って、人生を楽しむことについて書いています。


親友のジョンは、私の知人の中で最もセンチメンタルな人です。30年前のジョークをしょっちゅう口にし、子供の頃の写真をSNSにアップし、昔の仲間の再会を企画しようとします。

私の人生にそういう人がいるというのは、とてもありがたいことです。自分もセンチメンタルな人間なので、彼の努力をありがたく思いますし、みんなで集まると最高に楽しい時間を過ごせます。

とはいえ、再会した時は、懐古に浸るというよりは、むしろ気のおけない仲間と一緒にくだらないことをして過ごします。

なぜなら、過去を作り直すことはできないからです。作れるのは新たな思い出だけです。

私は日本にきてからこのことをよく考えます。自分が育った場所から約7,000マイル離れ、47年間で築いた生活からほとんど切り離されたここ日本で。学生の多くがよく知っている通り、ホームシックになるのは簡単です。

私はないものについて考えるよりも、毎日、毎秒、その瞬間を味わうようにしています。

なにしろ私は東京に住んでいて、冒険の可能性は無限です。

大学で経験するのは授業で学ぶことだけではないと、私はいつも学生に言っています。クラスメート、教員、職員といった、学生生活を通して出会う人々や学びの場も、大学での経験に含まれるのです。すべてを経験してほしい。

東京はTUJが存在しているというだけの場所ではありません。ここは学びの実習室なのです。学生が歴史や文化を発見し、世界中から来た人々に出会い、実際の職業経験を得て、他の場所では得難い人生観を身につけることができる場所です。

昨年8月に東京に来て真っ先にしたことの一つに、自転車を買うことがありました。この自転車は、私の世界を広げてくれました。毎日、仕事が終わると数マイル自転車を走らせ、週末も自転車で街に出るようになりました。

自転車を購入したのは高円寺の店で、引き取りに行った日は、有名な阿波踊りのお祭りの初日でした。1万人を超える踊り手と、数十万人の観客がいました。

自転車で街を走りまわる中で、日本橋の盆踊りや三軒茶屋のラテンフェスティバルのようなたくさんのお祭りと、ありとあらゆるパフォーマンスに出くわしました。

走りまわるうちに、ポケットの中のGPSよりも自分の記憶のほうが優れていると思い込んで、よく道に迷います。

ある土曜日の夕方、スカイツリーのそばの自動販売機の前で自転車を止めた時、窓に英語が書いてある近くの書店に気づきました。店に入ってみると、暗くくすんだ部屋に山ほど本があり、奥はバーになっていました。こぢんまりとした座席スペースに近づいてみると、ギターを弾いている人が何人かいるのが見えました。そして私が新しい本とビールを手にして腰を下ろすと、ギターを弾いていた人達がビートルズの曲を歌い始めたのです。

魔法のようでした。

去年の秋、友人と一緒に下北沢をうろついていた時には、一人の若者が私に声をかけてきて、「テンプル大学で教えてますよね?」と言いました。

「ええ」と答えると、数年前にフィラデルフィアで学生が200人入る講堂で講義をした時に、彼は学生の一人としてそこにいたと言うのです。すごい偶然です。

私はかつて、報道写真家でした。そのせいか、どこへ行っても、違うやり方で世界を見ようとしていました。そのおかげで、日常でも身の回りをじっくり眺めて、普通なら見逃してしまうような細部やパターン、美しさを見つける術が身につきました。

記者になってから7年ほど経った2009年、写真家だった頃のようには、ひと目でわかるもの以上のものを見なくなっていることに気づきました。そこで、2010年の元旦に毎日1枚写真を撮るプロジェクトを開始し、それ以来ずっと続けています。

今は、変わったもの、目を引くものを探します。この芝浦の近所にある倉庫の奇妙なシーンのように。

それから、恵比寿ガーデンプレイスにいた祝日用に着飾った犬たち。

それに、代々木公園のベビーカーに乗った犬たち。

いつもしっかり目を開き、いつでも手の届くところにカメラがあります。

常に目新しいものを見つけるのは簡単なことではないので、あえて違うルートで移動し、見知らぬ人に話しかけ、できるだけたくさんのものを見るようにしています。女子プロレスから相撲、野球、サッカーをする僧侶に至るまで、なんでもです。

2012年、祖母がホスピスにいた時、私はほとんど毎日祖母を見舞いました。するとある日、祖母はとうとう私にこう怒鳴ったのです。「ここから出ていきなさい!自分の人生を生きなさい!」と。

祖母は、私にそばにいてほしくなかったわけではありません。私が、そこに座って泣きながら人生を無駄にするようなことをさせたくなかったのです。

祖母が他界してから日本へ引っ越すまでの間、毎週1〜2回、祖父を訪ねました。一緒に夕飯に出かけたり、庭の手入れをしたり、トランプをしたり、パズルをしたり、プリンを食べたり、犬と遊んだりしました。

そして、そのすべてを記録しました。

1月、祖父は私がここ東京にいる間に亡くなりました。祖父の最期の日々にそばにいられなかったことはとても残念ですが、それに先立つ6年間、共に最高の時間を過ごしたことを知っています。

悲しむのは簡単なことです。家族はかけがえのない存在ですから。それでも、悲しむことを祖父が望まないのはわかっています。

だから、街へ飛び出して探検し、この驚くべき街、この美しい国で過ごす時間を楽しむための新たな方法を、常に探しています。

学生の皆も同じようにしていることを願って。