35周年記念シンポジウム: 「海外大学日本校 成功への道」TUJの昨日、今日、明日

昭和女子大学総長・理事長 坂東眞理子氏

1982年、米国テンプル大学と日本の教育者、実業家らのグループとの間で合意がなされ、日本初の米国の大学が創設されました。それがテンプル大学ジャパンキャンパス (TUJ) です。35年の時を経て、TUJは日本で確固たる成功を遂げました。 10月21日、昭和女子大学で開かれた35周年記念特別シンポジウムには、TUJの創設とその継続的な成功に最も影響を及ぼした人々が集いました。このイベントは、TUJが達成してきた事柄を振り返るだけでなく、TUJの将来における計画を知る機会ともなりました。 学長のブルース・ストロナクは、このシンポジウムが昭和女子大で開催されたことは偶然ではなく、2019年に昭和女子大キャンパス内に新設される建物にTUJが移転することに触れました。ストロナクと昭和女子大総長・坂東眞理子氏には、日本の高等教育をさらにグローバル化するためのグローバルキャンパスをともに形成する構想があるのです。

1996年から2001年にかけてTUJ学長を務めたリチャード・ジョスリンは、TUJの歩みを一冊の本に編纂するプロジェクトを進行中であると述べました。TUJは、今日の姿になるまでに多くの困難を経験してきました。ジョスリンは、テンプル大学本校が日本でのビジネスパートナーの変更など、TUJのスタートがどれだけ大変であったかを語りました。新たな指針とリーダーシップの下で、TUJは日本でより一層重要な大学として発展することとなりました。 TUJの創成期に入学した日本人学生はまさに先駆者でした。学生は、日本で第二言語である英語を主言語として、大学レベルのコースを受講していましたが、これは当時、他に例を見ないことでした。 TUJは当初、主に日本人学生が学ぶ場所でしたが、今日では世界中から多様な学生が集まる、多文化的な教育機関に成長しました。

TUJは、日本で初の外国大学の分校として始動しました。まさに真の草分けであるTUJに続いて他に40以上の外国大学が後を追いましたが、バブル崩壊後、その多くは日本から撤退しました。その中で、1996年にビジネスパートナーがパートナーシップを解消したときでさえ、TUJは日本に残ったのです。この時、テンプル大学本校は、他大学と同じように撤退するか、TUJを所有して運営を続けるかの決断を迫られました。経営陣は後者を選択し、賛否の議論はありましたが、それ以来テンプル大学本校が単独でTUJを運営してきました。TUJの歴史における最も重要な成果の1つは、2005年に文部科学省から初の「外国大学の日本校」と指定されたことでした。この画期的な成果は、当時のTUJ学長、カーク・パタソンの指導力がなければなしえなかったことでしょう。このシンポジウムでパタソンは、国内外の圧力を利用した、日本政府当局へのロビー活動における「指圧」アプローチを説明しました。「外国大学の日本校」指定により留学生のビザ取得を支援することができるようになったため、外国籍の学生の割合が急激に増加することに繋がり、これには大変重要な意味がありました。

TUJはこれまで幾度かキャンパス所在地を変えてきましたが、TUJの使命は一貫していることをストロナクは来場者の胸に刻みました。「(世界の)どこであろうと、学生を教育することこそが使命です」と、ストロナクは述べています。学生が日本人であろうと世界各地の他の国々出身の学生であろうと、TUJは常に学生を教育することに注力してきました。このシンポジウムは、TUJが日本にある米国大学として成し遂げたすべてのことを思い出せる機会となりましたが、今日のTUJを創った人々の苦労と努力の証言でもありました。学長のストロナク、元学長のカーク・パタソンとリチャード・ジョスリンはそれぞれのスピーチで、すべての聴衆にこれまでのTUJへの支援に対して賞賛と感謝の意を表しました。シンポジウムはTUJの35周年を祝うと同時に、来場者が次の35年に期待する機会ともなりました。

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