インターンシップ体験談

Brendan White

卒業後に日本で働くための準備として日本語で仕事をしてみたかった。"

ブレンダン・ホワイト

出身国:
アメリカ
専攻:
国際ビジネス
インターン先:
港区役所 港区産業・地域振興支援部 地域振興課 国際課推進担当
期間:
2013年9月〜12月(週3回、約15時間/週)

1週間のスケジュール

AM インターン 授業(TUJ) 授業
(武蔵大学)
授業(TUJ) 授業
(武蔵大学)
PM インターン 授業(TUJ) インターン 授業(TUJ) インターン

Q1 港区役所をインターンシップ先に選んだ理由は?

日本の職場環境、とくに企業形態でない組織を経験したかったこと、また卒業後に日本で働くための準備として日本語で仕事をしてみたかったからです。

Q2 業務の内容を教えてください。

日→英・英→日の書類翻訳、イベントや参加者の回答に関するデータ入力、外国人住民や大使館とのイベント運営サポート業務のほか、福祉や教育など他の部門で行われる翻訳現場の見学などを行いました。

Q3 日本語はどのようにして学んだのですか?

高校3年生のときに、日本に9ヶ月間留学したのが初めで、TUJと武蔵大学でも日本語を学びました。2012年に武蔵大学との単位互換プログラムが開始されてから参加を始めて、2013年の秋学期には、日本語で実施される日本語と物理のクラスを武蔵大学で履修しました。

Q4 一番大変だったことは何ですか。また、どうやってそれを克服しましたか。

上司と会話をする際の緊張をどう克服するかが、最も大きな壁でした。インターンを通して交流を深めるにつれて、また歓迎会で緊張もほぐれて自信がつき、打開することができました

Q5 インターンシップの経験は、将来どのように役立つと思いますか?

基本的な日本の制度を学び、実際に社会に出たときに驚かされるような多くの規則・習慣を学ぶ助けになったと思います。将来は、行政書士の資格を取って日本で働きたいと考えています。

インターン受け入れ団体・企業 インタビュー

港区役所 地域振興課国際化推進担当係長 勇真理子さん

インターンも区職員と同じ仕事を経験

インターンを受け入れるにあたって、まず港区の行政業務や外国人に向けた取り組みを学び、その経験を本国に持ち帰ってもらいたい、という目的があります。基本的には、イベントや会議の準備、事務など区職員と同じ仕事を経験し、課内だけでなく他部署や外部の人とのコミュニケーションを通して理解を深めてもらいます。

ブレンダンは、仕事の手際がとても良く、次の仕事をすぐお願いできる状況でも、こちらの準備が間に合わず、申し訳なく感じる場面もありました。

インターンとして外国人として、交流イベントに参加

大使館等との国際交流イベントや外国人座談会にも、区のインターンとして、また一人の外国人として積極的に参加してもらいました。外国人のなかなか集まりにくいイベントでは、テーマや開催日時は外国人にとってどうなのかなど、運営側と参加者側両者の視点で体験してもらったことで、私たちも気づきを与えてもらえました。

日本人のように礼儀正しくて実直。それがブレンダンの印象です。けれど、ひたすら黙々と仕事をしているわけでなく、場に合わせて上手にコミュニケーションをとっていることに感心しました。何気ない日常の話をすることもあって、大学生がいると、やはり課内の雰囲気が変わります。近くにきたときには、また私たちの職場を訪れてほしいですね。インターンで学んだことを、ぜひ将来に活かしてほしいと思います。

港区役所 地域振興課国際化推進担当 大島みどりさん

採用時には、意欲とコミュニケーション能力の高さを重視

以前は海外インターンシップ事業を運営する団体に依頼をしてインターンを受け入れていましたが、実際に日本で暮らす学生を受け入れたいと、昨年からテンプル大学の学生の採用をはじめました。好奇心が旺盛で意欲が高いことが、まずは一番。それから、日本語能力の高低にかかわらず、互いに理解しあおうという意思を持つ、コミュニケーション力の高い方を求めていました。

区の仕事を理解したうえで業務に取り組んでもらう

ブレンダンは、そうした点に加えて、英語のネイティブスピーカーであること、日本語レベルが高いこともあって、より広い業務範囲で活躍していました。たとえば、パンフレットや文書などの英語が文章として正しいかということや言い回しの校正だけでなく、実際にそれが日本語の原文と意味があっているかを比較しながら修正を加えるというところまで任せられました。

また、外国人相談や外部でのミーティングなどに同席して、区の仕事を理解したうえで業務に取り組んでもらったことが、業務を遂行するうえでの過程や成果に活かされていたと感じます。

課内では、職員とブレンダンのコミュニケーションは英語と日本語の両方で行っていました。場をなごませてくれる潤滑油のような存在でした。