学長室だより

TUJがリーダーシップを発揮

2015年3月9日

2015年春学期が始まってしばらく経ちますが、ここTUJでは非常にポジティブな空気が広がっています。今学期は、開学以来フルタイムの学部在籍生数が最多を記録しました。この春学期における増員理由は、先学期(2014年秋学期)に短期留学生以外の正規フルタイム学部生数と新入生数が強固に伸びたことによる直接的波及効果が挙げられます。平均90%のリテンション率(学生 保持率)を考えると、秋学期からの増員傾向が春学期以降も続くものと予測はできましたが、予想以上の好調さに私たちも驚いています。春学期に秋学期と同等の在籍数を記録したのはこの2015年春が初めてです。

この学部在籍生数の増員にはいくつかの要因があります。海外からの学生にとっては、日本への興味、関心が復活したことと円安が重要な要素でしょう。円安は、海外からの学生には実質的な授業料引き下げを意味するので、TUJはより一層魅力ある選択となります。しかし、そもそも学生が日本に来てTUJで学びたいという意思がなければ、授業料の相対的下落は何の意味も持ちません。過去10~15年に中国への関心が明らかに増加したことで日本は影を薄めた一方(いわゆる"ジャパン・パッシング")、日本に対する一般的な関心が強いままであったのは興味深いことです。例えば、2014年の訪日観光客は1,400万人で過去最多でした。米国人学生の留学先として日本が一定の関心を集めていることは"ジャパン・パッシング"の認識の陰で見落とされがちです。2008-09年度には米国から日本への留学生は約5,700人であり、2012-13年度も実際にはほぼ同数でした。中国への関心が高まったことで中国への留学生が増加したことは間違いありません。1999-2000年には2,500人程度に過ぎなかった中国の米国人留学生数は、2012-13年には14,413人でした。しかしながら、外国の高等教育や西洋的な自由主義的価値観への弾圧等を含む昨今の出来事から、今後留学先として中国への関心は薄れていくかもしれません。アジアにおける留学先の筆頭であった中国への関心が陰り始めたとすれば、米国人の日本留学がどう推移するか、中国への関心が高まってきたときと同様に日本留学も堅調なままか、あるいは少なくなっていくのか興味深い点です。

日本国内に目を向けると、国際教養教育への関心の高まりはTUJにとって多大なる恩恵をもたらしてきたと思います。学生獲得の競合相手を作り出すのではなく、TUJが日本の高等教育に貢献するためにやっていること、これまでもずっとやり続けてきたことの重要性を認識する雰囲気を作り出しました。日本の大学の国際競争力、とりわけ海外からの留学生召致を強化するために今日本で進められている大学経営と教育の改革は、米国の大学の方針や慣行に基づくところが大きいのです。その理由は、米国大学が間違いなく世界中から学生を集める最大の留学先であるからです。それゆえ米国大学で学ぶことの恩恵を享受したい学生は、自然と日本で唯一の米国総合大学であるTUJを選択するのです。TUJが日本の大学のモデルケースとなっていることは、二つの特定領域、アカデミック・アドバイジングとインターンシップ/キャリア開発で明らかです。米国大学としての運営について学ぶため多くの日本の大学から視察訪問を受けたことから、私たちはこの夏に米国大使館で日本の大学関係者向けのシンポジウムを開催することにしました。

私は日米間の留学生増員を目指す二国間協議に参画していますが、そこで特に興味深いのは「リスク」と「心地よさ」についての議論です。日本の学生が米国やその他海外へ留学したがらないことは多くの調査で知られており、その理由は国内が心地よすぎて敢えて外国語など学びたがらないからです。また日本はリスク回避の傾向にある社会であることもよく分っています。しかしながら、日本社会は国際競争力を強化せねばならず、それは日本国内外の日本人以外の人々とポジティブに対峙できる労働力を育成することを意味します。誰にとっても安全が最も重要な要素であることは疑う余地もありませんが、リスクが全て取り除かれてしまったら、学生たちはどのようにしてそれに対処するスキルを学んでいくのでしょうか。例えるなら、バクテリアにさらされずして、免疫力を備えることはできないのです。

日本に留学してくる米国人学生は、リスクを受け入れ対処することについてはより適応できています。彼らの課題は日本人留学生のそれとは異なりますが関連しています。リスクを取る、あるいは心地よい領域から抜け出す、という意味のひとつは、子どもの頃にあった安心感が今や終わったのだという感覚を持つことです。その安心感は主に友人や家族とのコミュニケーションを通じて現されるものです。大学生は故郷から7,000マイル離れて自立の感覚を持っているかもしれませんが、昼夜を問わず年中Eメール、携帯メール、スカイプ、フェイスブックなどで故郷の家族とつながっている限り、どれだけ心地よい領域から本当に離れているといえるでしょうか。

このことは私のように古くは1976年から家族との週1回の航空書簡に頼らざるを得なかった者にとってはとりわけ重要であるように思えるのです。(さぁクイズです。これを読んでいる皆さんの中で航空書簡が何か分る人はどれくらいいますか?)私が東京に初めて到着したときには疑う余地なく自分は大丈夫、正真正銘自立しているという強い認識がありましたが、真の留学経験とは人々が外国の地でどのように生活しているか、その地で彼らとどのように生活していくかを学ぶことにあります。今や世界が瞬時のコミュニケーションで完全につながっていることを考えると、今日の留学経験とは故郷とも現在住んでいる所とも瞬時につながっていることを意味します。ここでも例えるなら、来日する米国人学生の一人一人をかつてのように船に乗せて二国間の実際の距離を理解させることもできますが、それはもちろん彼らのスマホやタブレット、PCを日本に来るとき故郷に置いてくるよう言うことと同じくらい馬鹿げたことです。

世界は移動時間の観点から見ればずっと小さくなり、瞬時のグローバル・コミュニケーションによりつながっていますが、その相互接続性そのものが海外留学を促進する理由なのです。グローバル・スキルは明日の世界では疑問の余地なく社会的、職業的に必要不可欠なものです。私たちの学生は、米国人でも日本人でも他の60か国どこの出身であろうとも、その根本的な真実を理解しているからこそTUJに入学してくるのだと私は考えています。