学長室だより

内なるアウトサイダー

2011年10月25日

テンプル大学ジャパンキャンパス最大の強みのひとつは、その真に国際的な成り立ちです。単に「日本にある米国大学」だからというだけではありません。教職員の出身地は20カ国以上、学生は50カ国以上にのぼります。今学期の学部生は56カ国から来ていますが、それは(特定地域に偏ることなく)世界の隅々を代表する56カ国です。我々の教育はこうした国々の人間に影響を与えるだけでなく、それら国同士の関係にも影響を与えています。それが我々がグローバルでありインターナショナルであるという所以なのです。

私は学生のころから、ナショナリズム(国家主義)というものに多大な興味を抱いてきました。世界がどんどん狭くなっているのに、個人の「国」や「国家の一員」という意識はいかに根強く残っていることか。テンプルの大学生が成人を迎える今は21世紀です。なのに我々はいまだに19世紀半ばに形成された概念でもって自身を定義し、他者を分類しているようです。「国家」は、個人を規定するもっとも簡単な方法です。あなたはどこ出身、私はどこ出身というふうに。しかしこのナショナリズムが抱える難問は、ヨーロッパを見ればわかるでしょう。冷戦終結とともに、欧州諸国は可能な限り最小の単位に分化しながら、同時に欧州連合という統合組織の一部になろうとしているのです。そうさせるのは人間の根っこの部分における心理的・文化的な要請だと、私は思います。

インターネットをはじめとするコミュニケーション技術の発達によって、我々の世界は拡大し、あらゆる場所のあらゆる人々を含むようになり、政治・経済・文化がグローバルに交流する土台ができました。これは解放的でワクワクする話ですが、一方で恐ろしいことでもあります。自己定義が脅かされるからです。そこで我々は自分だけのスペースを確保したいと、自分のアイデンティティはもっと小さなグループの中に維持しておきたいと、考えるのです。ほとんどの人は、自分の国をひとつとみなすようには、地球上の全人類をひとつのグループとはみなしません。実際、「アジア人」とか「北米人」とかいう地域的なくくりでさえ、アイデンティティの拠り所となるのはかなり難しい。それらは概念であってアイデンティティではないのです。

私は長年日本に住み、日本を研究してきた者として、この難問を日本の国際化という文脈でとらえたいと思います。先日ラグビーのワールドカップを観ていて、私は日本代表チームと我々テンプルジャパンがやっていることの相似点に驚かされました。開幕戦で日本は、世界の強豪フランスと対戦し、大方の予想をはるかに上回る善戦を見せました。残り14分で24-21と、得点差わずか3点。結局負けてしまったものの、ワールドカップで日本が見せた最高の試合だったと評価されました。最優秀選手は史上初めて日本チームから選ばれました。その名はジェームス・アレジ。ニュージーランド人です。実際、日本チームがここまで健闘できたのは15人のスターティングメンバーのうち半分が外国人だったからです。これは国際ラグビー評議会のルール上なんの問題ありませんが、中には「これじゃ本当の『日本チーム』とはいえない、茶番だ」という人もいるでしょう。しかし他のチームを見てみてください。決勝で対戦したニュージーランドもフランスも、自国民でない選手をたくさん抱えています。

これは全部「茶番」でしょうか?もしそうなら、国家という意識そのものが茶番でしょう。特に日本においてはそうです。日本国の構成員は、国籍という政治的な要素よりも、民族的文化的要素で規定されています。これは米国のようにもっと世界中から人が集まっている国とはかなり違います。アメリカにおける「我々」の定義は簡単ではありません。

ラグビーワールドカップとテンプルジャパンとの関連に戻りましょう。先進国はいずれも、なんらかの形で外から「お客様」を迎えていて、彼らが経済成長と社会の発展に重要な役割を果たしています。もし日本が、ラグビーにおいて代表チームの一員に外国人を迎えることで世界と互角に戦えるなら、グローバル経済の中で戦う際にも同じことをしなければ勝てないかもしれません。日本は貿易を通じて国際化したと信じられていますが、それは一方通行だったのです。輸出は増えても輸入は制限されました。工業製品が海外にたくさん流出する一方、外国人の流入は増えませんでした。入ってきた外国人たちも、日本の政治・経済・文化どの分野でも重要な役割を演じることは許されませんでした。しかし、ラグビー日本代表を見ればわかるように、日本の将来は、「日本の中で日本のために働ける外国人」をどれだけ集められるかにかかっているのです。

テンプルジャパンは、日本における「内なるアウトサイダー」として、日本の国際競争力を高めることを使命のひとつと考えます。日本を世界での成功に導く人材、のみならず日本を中から豊かにすることのできる人材。日本人・外国人に関わらずそのような人材を育成することで、その使命は達成されると思います。我々が強くなることで日本が、そして世界が強くなるのです。